「岐路に立つ鞆の浦」
JIA名誉会員 池田武邦
まえがき
第二次世界大戦で壊滅的な被害を被った、首都東京を始めとする日本の主要都市は、その後の約半世紀の間に、経済の復興、高度成長期を通じて、近代化に積極的に取り組んできた。その結果、車社会に対応した都市再開発や超高層建築技術の開発等と相まって、都市の近代化は急速に進展した。
しかし、一方で第二次世界大戦に堪えて残された既存の都市を取り巻いていた自然環境や、都市内に存在していた極めて多くの歴史的建造物は、近代化の代償として破壊されたり取り壊される運命にさらされた。
都市の経済や効率、生活の利便性を追求した車社会に対応した近代化が進展するに伴い、市民の物質的豊かさは確実に進展したが、一方で豊かであった自然環境が壊され、排気ガスや騒音といった公害も社会問題化し、更に、市民の心の糧となる歴史的環境も失われてきたことに対する反省も一般市民の間に生まれるようになってきた。それは経済や効率を追求した都市開発と自然や歴史的環境を保全するということは全く相対立するものだという考えを定着させた。
したがって近年は都市の経済的発展を意図して開発計画を企画すると、常に環境保全を重視する人々との間に対立が起こり、それは開発推進派と環境保全派という形の抗争になることが度々見られる。
今回のケース・スタディー鞆の浦の場合もその典型的な事例である。ここで私が提案しようとしていることは、開発と保全を対立でなく、両立、共生させることである。即ち、自然や歴史的環境を保全しながら、21世紀という新しい時代に対応した近代都市に再生する道筋を具体的に示したものである。
このケース・スタディーは、開発派と保全派が対立したまま、今は政治力によって開発が実現する方向に大きく傾いている状況の中でボランティアとして私が提案したもので、その成果は今のところ全く未知数である。
しかし、今から4年前、1992年にオープンした、鞆の浦の市街地とほぼ同面積152haのリゾート施設ハウステンボスの計画において私は環境保全と経済開発との両立を可能とする、これからの都市の在り方を追求する実験都市としての設計理念を明確にして、その実現に関わった。その成果を基にして提案しているもので、もし実行に移せば必ず成功し得るものと信じている。その根拠となる実験都市について、その概略を述べる。
大村湾という深い入江の一角に位置するこの敷地は、かつて経済を活性化する目的で県が工場団地を造成、海辺を埋め立てた所である。しかし、その事業は失敗し、埋立地は20年以上放置され、自然環境は破壊されたまま生態系上多くの問題を残していた。私がこの敷地にリゾート施設を計画するにあたりまず着手したことは、一度壊された生態系を可能な限り再生させることであった。その上で、経営的に成立させ、経済と自然生態系との調和を可能とする街づくりを実現させ、4年を経た今日極めて成功裏に目的を達成しつつある。
土壌改良の上、40万本に及ぶ植樹、森林育成、コンクリート護岸を一切排除し、水辺の生態系を再生、生活排水を高度処理の上再利用し、余剰水はバクテリアによる土壌浄化を行い、一滴も海に放流しない等をはじめ、考えられるあらゆる手段を講じて生態系の再生を計った。その上で、地中には共同溝をつくりエネルギーをはじめ、インテリジェント機能に対応した光ファイバーなどを配管、配線し、マルチメディア基地としての機能を備えてある。
また、道路は全て煉瓦や石による透水性の舗装を施し、車は15km/hに速度制限し、歩行者優先のルールを徹底することによって、来場者は安心してショッピングや風景を楽しめる。このような実験都市の成果を根拠にして、鞆の浦の提案は行われている。
1. 岐路に立つ鞆の浦
福山市中心部から南へ約10km、2000年の歴史を受け継ぎ、瀬戸内海でかつて潮待ちの港として栄えた鞆の浦は、人口約7000、近代化によって日本中の都市が変貌してしまった中で奇跡的に自然の景観と歴史的環境を色濃く現在に残している極めて貴重な街である。特にその中心部に位置する港は、自然を生かし、全国で唯一江戸期の港湾施設を今に残している掛け替えのない存在である。
ところが、この古い街を現代の車社会に対応させるために、その港の一部を埋立て架橋する計画が1983年10月福山港地方港湾審議会で承認された。その後、漁民や一部住民の反対などのため今日まで計画は実施されなかったが、今を逃すと二度と実現は不可能になるという推進派の危機感から政治力を使った推進の動きが活発となり、市はそれを受けて港の埋立架橋を前提とした「鞆地区まちづくりマスタープラン」策定委員会を発足96年3月にまとめ、県に提出した。県はそれを受けて実施へ大きく踏み出すことになった。
ここにきて埋立推進派と反対派との対立は鞆内外の人々を巻き込んで地方紙面を賑わしているが、何れも鞆の将来へのヴィジョンが欠落し、真の解決への道は不明のままである。
2. 近代都市の問題点
市民生活を豊かにするものと考えて車社会に対応し、機能的で便利な近代都市の建設に邁進してきた戦後の都市計画は3つの大きな問題を抱えてしまった。
第一は自然の破壊と汚染である。
山を削ったり海を埋め立て自然のバランスを崩し生態系を破壊して築いた近代都市は、阪神大震災に見る如く自然災害に脆く、海山の幸を滅ぼす結果を招いた。
第二は生活空間の一部としての路の喪失である。もともと歩行者のために存在し生活空間の一部であった路が、排気ガスと騒音をまき散らす車によって人々は押し退けられ単なる交通手段の道路に堕落してしまった。
第三は都市固有の掛け替えのない歴史的環境の崩壊である。私達の未来は先人が遺した歴史を深く学ぶことによって始めて心を培う都市づくりの正しい道が拓かれる。効率や機能を追求する余り、歴史的環境を軽んじてきた近代都市形成の過程は大きな誤りを犯したといえる。
3. 理想都市「鞆」構想への道
近代都市の問題点を解決し、鞆を21世紀の理想都市として再構築する構想の概略を以下に述べてみよう。
(イ) 自然と調和した都市環境の回復
生活排水や雑排水によって汚染された港や近海を、生活環境が上水道や電気洗濯機、車等が普及して近代化する以前の1960年代の状況にまで回復させ、魚介類の豊富な生息を可能とするよう自然を甦らせる。その手法は後背地の山林の植生を豊かにし、水辺の生態系の回復や生活排水の徹底した再利用、港の防波堤の改良など、既にほとんど同じスケールのハウステンボスで実験成功させた事例がある。
(ロ) 安心して歩ける路の復活とインフラ整備
町内から電柱を取り去り路の下に共同溝を設け、光ファイバー、上下水道等の他要所に消火栓を配し、高度なインテリジェント防災都市としての機能を備える。これもハウステンボスで実験済みのことである。その上で街の北と南にある法界碑(100年以上前の鞆の浦の街道入口に建てられた石碑)の内側、旧市街区域はハウステンボス同様、車の速度を15km以下に制限し、バスや荷さばきの車の空間を兼ねた辻広場を設け、車の渋滞を解消すると共に、路はすべて歩行者を優先し、安心して買い物でき子供が遊べる空間を取り戻す。
(ハ) 歴史伝統が息づく都市環境創造
鞆は世界でも有数の歴史伝統の密度が濃いまま今日に残されている数少ない例の一つである。しかし、歴史的に市民の生活を支えてきた井戸は水道が施設されてからほとんど見捨てられ、古い街並みを構成している民家は次第に取り壊される等、今日、その環境は次第に崩壊しつつある。これらを積極的に再生させると共に、まだ生かされ方が不十分なままの多くの歴史的宝庫の生かし方を工夫し創造することは、魅力あるまちづくりの重要な課題である。
(ニ) 生活を支える地場産業の振興
鞆には約700年前からの刀鍛冶に始まって、交易の町として船釘、錨など船具の加工、近代に入ってそれが鉄鋼業と永い歴史に耐えてきた地場産業は他にも漁業、水産加工業、保命酒など伝統を誇るものが今日まで脈々と生きてきた。但し今のままでは大量生産品に押され衰退を余儀なくされる傾向にある。今日社会にあまり知られていないが、手作りを主とする質の高いこれらこそ、これからの時代に重要な意義をもつ産業なのである。マルチメディア時代に全国に向かって発信し、広く社会にその真価を報せ、顧客を確保し、経済的安定を計ることによって、育成、発展させる価値のある地場産業である。
(ホ) 世界と交流できる都市施設の充実
日本のほとんどの都市は近代化の過程で郊外へのスプロール化が進んだが、鞆は地形的条件と社会的条件(人口減)とに助けられ北と南の旧市街入口に建つ法界碑内はほとんど近代化に侵されることなく今日に健全な姿を留めている。その法界碑の内と外のメリハリを明確にしたまちづくりを計画する。即ち法界内区域の街並みは歴史的環境を徹底的に大切にした整備を行うのに対し、法界外にある鉄鋼団地や平地区には、地下埋設のインフラに支えられたマルチメディア基地施設をはじめ、環境に調和したホテル、国際会議場、フェリーターミナル、商業、業務、駐車場等近代施設を充実し、法界の内と外との都市施設が相互に補完しあう都市構造を整備する。
以上述べた構想の大部分は実験都市ハウステンボスで既に試み、その成果を確認している。
4. 鞆の将来を決めるのは地元住民の重大な責任
鞆の将来を決めるのは行政ではなく鞆の住民である。私達は今、世界の価値観が大きく変わろうとしている大転換期の世紀末にいる。地元の人々は特にそのことに注目する必要がある。何故なら今まで大して価値がないと考えていた自然、歴史、それらが調和した景観、手作りのもの等が、新しい時代二十一世紀には世界の人々が求めて大きな経済的価値を生み出すようになるのである。埋立架橋といった旧来の方法を選ぶことは、鞆の優れた資質の骨格をなす個性あるコミュニティーを崩壊し、鞆全体の個性を弱め魅力を失わせ、やがて経済を衰退に追い込むことになるであろう。
以上、日本の多くの都市が近代化の過程で侵した過ちを繰り返さないために、私見として提案したものである。
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